「お墓掃除とテントウムシと戦争」
夫のふるさとは岡山の吉備津です。 家は代々農家で、舅が広い広い田畑を長く一人で守ってきていました。(その舅はといえば、昔は武士の家系じゃ!が口癖で、いつも木刀を持って眠っていましたが、今は介護施設で穏やかに過ごしています) 田畑の方は、専門家に稲を作ってもらったり、シルバー人材センターの人に草を刈ってもらって夫が管理をしています。 つまり、ほとんど、人の助けを借りている状態なのですが、1カ所だけ、夫や私や私の子供達がお世話しているのが、松田家の墓所です。 吉備津神社を見晴らせる高台にあり、苔むした、江戸時代のお墓もあります。その中でいつも私の目を引く、ひときわ立派な墓碑。それは戦死した、舅の兄二人と終戦のころに栄養不良でなくなった舅の妹が一緒に眠るところです。 兄二人は二十代前半で、妹は15歳で亡くなっています。 「忠節院」とか「義烈院」とか勇猛な戒名がつけられているのですが、そのせいかよけい胸が痛くなり、先に逝った子供達のためにこの墓を建立した、その両親に思いをはせては、いつも涙してしまいます。 お盆の前の暑い頃に掃除にいって、追悼して、戦争は