「昭和を生きて」

December 16, 2016

 

一人の男が亡くなりました。松田 孚(まこと)、夫の父です。

 

介護施設で穏やかに暮らして居ましたが、11月の中旬に、軽い肺炎と診断され入院し、まもなく退院出来そうと言われていた矢先の、急変でした。

11月28日です。

夫と、駆けつけていただいた施設長が最後を見届けました。

 

夫が弔辞で語ったことですが、孚じいちゃんは、見送る立場にずっと立っていた人でした。

二人の兄の戦死、可愛がっていた妹、そして両親、何よりも痛ましいのは、掌中の玉のような存在だった、二男を六年生の時に学校の事故で、まだ四〇代だった妻が、目の前で、くも膜下出血で倒れて、急死したことです。たまに涙ぐんでおられた事を知ってました。

 

私が結婚したときには、義理の姉も嫁いでいましたので、男二人の家族でした。

結婚して、「良かったことの、ひとつは、減っていく一方だった、家族の数がふえたこと。やっと三人家族になった」としみじみと夫が言いました。

それから32年間、普段一緒に暮らしていたわけではありませんが、三人で力を合わせてやってきたと思います。

予科練時代の話を話し、広い農地をたった一人で耕し、決して穏やかとは言えない人柄ではありましたが、まじめに寡欲に、昭和の日々を凌いで来た人でした。

二人の兄のどちらかでも存命なら「まあ、銀行員にでもなってたでしょうなあ」とよく言われていましたが、お百姓さんのお父さんはとても頼もしかったです。

あれほど好きだったお酒を十数年前にきっぱりやめたこと、感服以外のなにものでもありません。なにしろお父さんがお酒を買わなくなって、酒屋が一軒つぶれたほどですから。

 

お別れの時に、お水で、唇を潤してあげながら、お酒にすればよかったかなと嫁は思いましたよ。

美人で賢夫人の誉れ高かった、お母さんとはもう再会しましたか?

それともお父さんと同じ年で、おとうさんより一日早く逝った、カストロ議長を呼び止めているかしら。

吉備津を旅する外国人観光客に必ずブロークン(ごめんなさい)イングリッシュで声をかけていましたものね。

でもカストロさんとはスペイン語で、はなしてね。

 

 

 

三人の孫を本当に慈しんでくださり Thank you

 

私のお料理をいつもほめていただき Vielen Dank

 

そして  auf wiedersehen

ゆっくりおやすみください。

 

 

 

 

 

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