「昭和を生きて」
一人の男が亡くなりました。松田 孚(まこと)、夫の父です。 介護施設で穏やかに暮らして居ましたが、11月の中旬に、軽い肺炎と診断され入院し、まもなく退院出来そうと言われていた矢先の、急変でした。 11月28日です。 夫と、駆けつけていただいた施設長が最後を見届けました。 夫が弔辞で語ったことですが、孚じいちゃんは、見送る立場にずっと立っていた人でした。 二人の兄の戦死、可愛がっていた妹、そして両親、何よりも痛ましいのは、掌中の玉のような存在だった、二男を六年生の時に学校の事故で、まだ四〇代だった妻が、目の前で、くも膜下出血で倒れて、急死したことです。たまに涙ぐんでおられた事を知ってました。 私が結婚したときには、義理の姉も嫁いでいましたので、男二人の家族でした。 結婚して、「良かったことの、ひとつは、減っていく一方だった、家族の数がふえたこと。やっと三人家族になった」としみじみと夫が言いました。 それから32年間、普段一緒に暮らしていたわけではありませんが、三人で力を合わせてやってきたと思います。 予科練時代の話を話し、広い農地をたった一人で耕し